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【読書】「賞味期限のウソ 食品ロスはなぜ生まれるのか」―責任無き権利者と消費地獄の末路―

賞味期限のウソ 食品ロスはなぜ生まれるのか (幻冬舎新書)

あらすじ
 2013年、日本の食品ロス量は632万トンに達した――――これは東京で一年間に消費される食糧とほぼ同じだという。なぜこうなってしまったのか。
 ある人は生産者が作りすぎるからだと批判する。ある人は小売店のシステムに問題があるとやり玉に挙げる。では、なぜそのような食糧を余らせてしまう仕組みを作ってしまったのか。無実だと思いこんでいた我々一般消費者には何も罪はないのか。覆い隠されていた真実が目前に迫る!

 

おすすめ
 日本は食品の清潔度に関していえば、トップクラスで厳しく管理している国だ。それは香辛料や火力で誤魔化すという文化があまりなく、寿司などの生食や素材本来の味わいを重視した料理が多いからだ。日本の卵は賞味期限が短いが、それは生卵で食うことを前提にしているからだ。加熱調理して食うことを考えれば期限は何か月も延長されるという。
 その様な食文化であり、しかもそれが世界遺産に登録(平成25年12月、「和食;日本人の伝統的な食文化」がユネスコ無形文化遺産に登録)されたワケだから、誇りなんか持っちゃってコレでいいのだ、と考える人が増えた。本著はその裏で起こる悲劇が描かれる。
 
感想
 「MOTTAINAI」―もったいない―という言葉が一時期はやった。ごく普通の日本語であるそれを国連平和大使などを歴任し、ノーベル平和賞などを受賞したケニア人女性、ワンガリ・マータイ氏(1940ー2011)が世界的キャンペーンまで押し広げたのだ。いわく、リデュース・リユース・リサイクル・リスペクトを一語で表した言葉なのだという。ルー大柴も歌ってたね。

 このムーブメントは日本人の自尊心を高めたわけだが、最近はとんと聞かなくなった。ただ忘れてしまったのか、それとも自分はもう完璧だと考えているのか。

 残念ながら完璧だとは言えない。近年では売れ残った恵方巻が大量廃棄されている様がSNSでアップされ、すさまじい批判を浴びた。しかし、それは「利便性」を限りなく追求し、我々消費者がそれを甘受していた結果であると気づいた人はどれほどいるのだろう。
 つまり、一般人は全ての責任を生産者・販売者に押し付けて、自分には何の非も無いと思い込んでいるのだ。

 すべての問題は思い込みの激しい人間が多いことだ。日本人は慎重な人が多く、それが素晴らしい特徴だといわれているが、要は自分の許容範囲以外の事は全て突っぱねているだけだ。今までの生活によって形成された思い込みを偏見であると気付いていない!

 例えば賞味期限だ。そもそも賞味期限と消費期限の区別がついていない人間が多いわけだが、そういう人間に限ってそれをとてつもなく重視する。1秒でも過ぎれば爆発するとでも思っているのではないか?
 実際の期限はかなり余裕をもってつけられているし、気温・湿度や様々な要因で実際の可食期間はかなり変動するだろう。つまり企業側がつける期限はたんなる目安でしかないのだ。あとは自分で臭ったり何だりして判断するしかないというのに。
 
 食育が全く機能していないのも問題だ。例えば『菌』を異常に嫌悪している人間が多いが、全くもってお笑いだ。特に健康志向のオーガニックを買い求めている人はそういうものに敏感だが、野菜の作り方を彼らは分かっているのか?それとも全てはエタノールか何かで消毒・殺菌されているとでも思っているのか?
 自然というのは菌の宝庫であるし、それが食品を作ることに関与していることも普通の事だ。発酵食品なんてその代表で、パンも酒もチーズやヨーグルト……全部『菌』だ。それに昔ながらの製法は近代的な管理がされていないから最新の設備を導入しなければいけない、という決まりが現在当たり前だが。伝統製法で作ることで悪性菌を殺菌できる『菌』が生まれるモノも存在する。つまり自然とうまく調和していたのに人間が自然を拒絶し始めたのだ。

 一番の問題は「お客様は神様」の精神だ。店は常に在庫をストックして、客がいつ来ても満足感を覚えられるように整理している。「何時来ても」を最大限追及したのがコンビニだ。365日24時間営業だ。そして在庫を切らさないように頻繁に補給車がくる。コンビニの光熱費、自動車のガス代……コンビニの商品が高いのはこれが上乗せされているからだ。さらに満足度を底上げするため、陳列できる商品はつねに競争にさらされている。売り上げが落ちればすぐにそれは棚から降ろされてしまう。降ろされた商品の行き場はあまり多くない(=廃棄)だ。
 在庫切れも怖い、スーパーやコンビニは常に在庫がある。つまり売り切れていないという事だ。在庫がたっぷりある方が見映えがいいし、切らしてほかの商品に棚を奪われるなら余るくらい大量に入荷したほうがいい。そうしてまたしても廃棄が生まれるのだ。常に在庫があるというのは、消費者に「ここに来れば必要なものを揃えられる」という印象を植え付けられる。
 完全な消費者と化した人々はそのシステムに完全にのっかり、疑いを持たずにその恩恵を享受する。カネと引き換えに全てのリスクを企業・生産者に押し付け、実際は何ともないことに関してもクレームを入れる。それでまた、余計な制限(ムダ)が入るのだ。

 その廃棄品を有効活用しようという動きが活発だ。欧米では古くから盛んだ。しかし、日本では未だに普及したとは言えない状況だ。それは新鮮な「初もの」を重視する国民性が「食糧のお下がり」ともいえる「フードバンク」(スーパーの余り物を貧困層に無償提供する)等を許容できないのだ。いわく「食中毒のリスクがある!」とか「リスクに対して責任が取れるのか!」というものだ。日本人は食品に関しては完全な「ゼロリスク」を求め、それにより賞味期限がだいぶ早く設定され、小売店はその期限が切れるだいぶ前に棚から降ろし新品に変える(販売期限)。消費者も棚の奥の期限ができるだけ長い物から取ろうとするから、必然的に手前の商品は廃棄となるのだ。そして、それを活用することすら拒む。
 信じられない人もいるかもしれないが、日本では餓死する人すら存在する。その人に向かって「この食品は食中毒のリスクが0.001%あるので渡せません」と言っているようなものだ。死ぬよりも下痢になるほうが怖いのか?結局のところ、批判する人はとても「慎重」な人で、本当に「フードバンク」が必要な人の状況を把握していないで吠えているのだ。そんな人はまずフードバンクのボランティアに参加してみるがいい、その必要性がはっきりわかるはずだ。

 

賞味期限のウソ 食品ロスはなぜ生まれるのか (幻冬舎新書)
 

 

 

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